母親と最近LINEで口論しましたばるーんです。
俺が今の仕事を辞めたいって話をした一部でそんな話題が飛び出した。
「上司は大変そうだ。上に上がっても遅くまで残業、クレーム対応、妻と幼子を置いて他県に単身赴任。そうはなりたくない」
「理想の上司がいないならアンタがなれば良いじゃない」
率直な疑問は、なんで? だ
腑に落ちない。何故俺が、理想の上司って存在にならなければならないのか?
というわけで、何故そう思うのかを考察してみようと思う。
理想の上司ってなんだ?
なんで理想の上司にならなければならないのか?
自分が理想の上司にならなかったらどうなる?
まとめ
まずコレよね。
社会人なら誰もが抱くであろう理想の上司ってやつ。
俺が思う理想の上司ってどんなだろう。
憧れる要素をとりあえず挙げてみよう。
- 決断が早くて論理的
- 人間味がある
- 仕事の知識が豊富
- 様々な人生経験があり、懐の深さを感じる
- こちらのミスをカバーしてくれる
- 人を引っ張っていく力を感じる
書いてて途中で
少なくとも俺の職場にこんな人おらんわww
とセルフツッコミが入ったw
こんな人材いるだろうか? 当たり前だけどいるわけない。
しかも上のリストは主観で書いているし、俺にとって超!都合が良くて自分を庇護してくれつつ、成長もさせてくれる・・・さながら神のような超常的存在に近い。
それを俺は、他人に求めているってことなのか。
じゃあ俺に他人を変えることはできるだろうか。
自分の上司に、上の理想像のようになって欲しいですと働きかけることなんてできない。
何故ならその上司の価値観や生き方を俺が決める権利なんて無いから。
俺にできるのは、せいぜい、その上司が働きやすいようにサポートするくらいなものだ。
理想の上司などという居るわけのない存在を他人に求める自分って、如何に幼稚な考えで浅はかなんだろう。
理想の上司というのは、登場を待ち望むものではないってことだ。
じゃあ
コレよ。
なんで俺が?
とはいえ、書いていて既に答えは出ている気がする。
他人は変えられないから、自分がなっていくしか無いんだよな。
理想の上司の登場を待つってのは、辛い仕事と向き合うための自らのすがりたくなる気持ちの現れみたいなものなんだ。
ただ、そんな存在になっても仕事は変わらず、遅くまで残業だしクレーム対応はあるし、子供と離れて生活はしなきゃならない。
そうだろうか?
遅くまで残業は、仕事のやり方を変えればある程度改善できると思うんだよな。
クレーム対応は、無くならないだろうなあ。避けては通れないなぁ。それこそ変えられない他人からの気持ちの現れなわけだし。
子供と離れて生活も、無くならないだろうな。人事権を与えられるわけではないし、そこまで偉くなるのに相当な時間がかかる。
それに人事権を与えられる頃には、福岡を離れて東京の本社に行かなければならない。
うーーーーーーん。管理職、上司という存在と言えど、やれることはあまり多くはない。
俺は今の職場で上司と呼ばれる立場にはなりたいと思えないなあ。
責任の割に給与が見合っているとは思えないし、しょっちゅうクレーム対応しているし。
まぁ、これだけ見れば誰だってやりたくはないだろう。
じゃあ仮に自分が理想の上司にならなかったらどうなるんだろう?
上司にならないってことは、組織で上に上がっていかないってことでもあるよな。
このままを続けていくと予想される未来はこんな感じか
- 給与はどこかで頭打ち
- 自分より年下が上司になる
- 同期や周囲との差
- 裁量権が無い=組織の意識決定に関与できない
- 担当者レベルの責任
- 指示されるだけの仕事
- それが退職まで続く
あんまり楽しそうな未来じゃないなあ。
退職するまであと30年近く、下手したらもっと長いことコレを続けなきゃならないってなかなか苦行よね。
で、それを終えた頃にはもう人生のほとんどは終了していて、年金生活に突入していくわけだ。
書いてて末恐ろしくなってきたw
そう思うと、俺は理想の姿を追い求めつつ昇進をしていく未来に進んだ方が、まだマシって思える。
でも結局コレって今の職場で組織人として生きていく上での論理なんだよな。
これ以外にも選択肢はあるはずなんだよ。
たとえば、転職、独立、副業、投資(元本必須)、いろんな方法で生きていくことができる。
組織で上を目指していくことは、組織で生きていく上で非常に大切なことだと認識できた。
でも俺はやっぱり今の職場で生きていくのは・・・イヤだ。
もっと自由に。
職場も、仕事も、時間も、縛られずに自分で決めていきたい。
そんな人生、俺にはまだ全然現実味が無い。
なにせ10年以上縛られたサラリーマンやってきてるからw
悩み多き1日であった。
いずれ追記するかも。
それではまた次回の記事でお会いしましょう!